太子町の地場産品 その

2014.08.06 Wednesday

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    先日の続きとなります。。。

    先日は、太子町の地場産品である「ぶどう」についての
    販路拡大・流通経路の見直しなどについて書きました。
    私たちにしか出来ないこと、まだまだたくさんあると思っています。
    府議会議員になって町会議員時代よりも、直接的にこれらの問題を
    府庁の職員さん方と議論できる環境にある訳ですから、
    しっかりと地元・大阪農業の将来を考え行動することです。
    ただし、無理をせず背伸びもせず出来ることから確実に、着実に!!

    ここで、太子町のブドウの歴史について。。。。

    大阪のぶどう栽培は、江戸時代のはじめ頃にまで遡り、
    南河内郡道明寺(現在の藤井寺市)の沢田という地域に、
    甲州ぶどうが作られたのが最初といわれています。
    時代は昭和になり、昭和7〜8年ごろ、太子町春日の方が駒ヶ谷村(現在の羽曳野市)
    からデラウエアをうつしてから次第に増殖されました。

    第二次大戦中は作付統制により果樹栽培は相当圧力を受けましたが、
    ぶどうだけは酒石酸製造の原料として除外されて、大部分は戦後まで維持されました。
    その後昭和25年ジェーン台風とフイロキセラの発生により栽培面積は落ちたものの、
    農家の努力によって、新植や補植が行われたとの事です。

    ぶどうの樹は成育がみかんより早く栽培が容易であるために、生産過剰になります。
    そこで登場したのが「種なしぶどう」でジベレリン処理という新たな技術を使い誕生しました。
    ぶどうの実を開花期の前後数回浸すことにより、種なしになります。
    取り入れも半月ほど早く出荷することができ、その当時の所得も増加されたことから、
    農家の方々はまさに「福音」が訪れたと喜んだそうですよ。

    ちなみに太子町はみかんも特産で当時の橋下知事も来られて、2〜3個パクパクッと食べられてました。



    みなさんどうでしょう。
    ブドウ畑ってどんな土地で作られているかご存知でしょうか?
    大阪府域もほとんどがそうかもしれませんが、
    太子町の地形的も手伝って11度以上の傾斜地(ほとんどスキー場と変わらないかそれ以上かも)
    がもっとも多く、81%が傾斜地で栽培されているそうです。

    太子町にかかわらず、大阪農業全般に言えることでしょうが、
    大都市大阪の近郊栽培であり、京阪神などの大消費地に近いという市場の近接性という大きな利点と合わせ、
    早熟性の利点を選らんでいる点は、大都市近郊農業の特色を当時も最大限発揮していたと言えるのではないでしょうか。

    今も昔も、太子町の農業(大阪農業)の環境はあまり変わっていないように思います。
    ただ、その時代の要請にしっかり対応する事も大切だと思います。
    たとえば過去私は、環境農林水産常任委員会等を通じ、
    「高付加価値」を付けて、「特許」をとる事。さらには「6次産業化」も視野に入れて、
    市場も関西圏や日本から羽ばたき、アジア諸国の市場もねらう!
    ということを訴えてきました。
    他の産業と同じく「食える産業」としての農家となるように微力ながら取り組んで行きたいと思います。


     
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